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ハハちゃん来襲② [obstetrics]

二日目。
午前中に適当にドライブして、昼ご飯の後初顔合わせです。
誰と?
Aの両親とウチの母です。
昼ご飯は白根の支那そば。つまりラーメンです。塩ベース、醤油味のチャーシュー、細麺の割と淡白なタイプなのですが…食べ終えた後の私のスープ、何だか茶色い。おっかしいなぁと思ったら、偶々チャーシューのしっぽが入っていて、そこから醤油が滲み出して来てたみたい。醤油味になってしまった支那そば。微妙。

この『あり?』という流れがこの後に繋がる訳で、白根から新潟に戻る途中で母はプチヴェールとモロヘイヤの粉を見付けてお土産に買いました。それを車に置いて、初顔合わせです。まぁこれは和やかに進みました。そのあと裏にあるアピタにアカチャンホンポがあるのでそこへ見にゆきましょうということになり(この辺りもまぁ予定調和…)お姫様を車に残し店舗の中へ。
Aの母は妊娠を知った時から何故か『赤ちゃん用布団』を連呼し(寝る子は育つとは言いますけどね)、置くとこが無いので要らない(真夏に布団は必要なかろ?)と何度も何度も断り続け、このアカチャンホンポの店舗内でもはっきり断ったことさえあるのに、ウチの母と顔をつきあわせた途端また再燃。いいえ今すぐ買っていただいても置くとこ無いので要りません寒くなったら考えましょうその頃のサイズに合わせた方が合理的ですよ、と説き伏せてもそうねと言いつつでもと譲らない。つまり単に買って満足したいだけなのです。有り難い話ながら有難迷惑です。そんなの買うならカネのままくれ。あっ、本音が♡そういう訳でしつこいのをしつこく断っていたら、件の風邪から咳が。なんていいタイミングなんだ、と笑いがこみ上げて来てしまう反面マジ苦しくて、ハンカチ当ててしゃがみ込んだら今度は笑いの果てに涙が出て来て、アレ?何がどうしてアホな事態になっているの?と思ったら笑い涙は何だか悔しなみたいになってしまって、あれ?泣いてる。この事態にはAの母も流石に粘り過ぎたと内心冷や汗が流れたらしく、取り敢えず私がトイレに退散している間に本題に立ち返って必要なものを選ぶに戻ってくれたのですが。
トイレから戻った私をAが青い顔で車へ引っ張ってゆきます。何かと思ったら、車の後部ドアを開けた途端ぷぅ〜んと抹茶のにおい。何かと思ったら黒いシートの上に鮮やかな緑の粉がばーっ!何かと思ったら…
お姫様、草の匂いを鋭く嗅ぎ付け、白根からの帰り道に母が買ったプチヴェールの粉をばっちりシートにぶちまけてご機嫌さんだったのです。取り敢えずこの惨状を片付け、無くなってしまったお土産を買い直しに行ってもらって私は修羅の世界に戻ります。
布団にまた固執している誰かさんを押し止め、どうにかタオルケット兼お包み辺りに留めてくれた母に感謝しつつ、肌着など買い揃えて『買ってやりたい衝動』をなんとか満足させてやる頃、母親2人は満足して帰路についたのでした。帰路といっても片方はシートが一つ減ったのでほんの5分の距離、歩いて帰ります、残りの三名とお姫様はアパートへ。晩ご飯がまた大変な会合になるので、それまで一休み(その間に母のプチヴェール粉を買いに走ってもらって。)。

お姫様は車で暴れて満足したのでやっと大人しくなり、母も外交で疲れ、冷たいお茶で一休み。

夜の会合はAの父親も更に交えて飲みご飯。ウチの母は私の母とは思えない程酒が苦手なのですが、米の国新潟で飲まない手は無いと、梅酒を頼みました。お湯割を勿体ながって最後の一口まで飲み干したりするから、ホテルでダウンしたりするんですよハハちゃん。

母もダウンしたので以後翌日。

ダウンしたと言っても


タグ:新潟 妊娠
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ハハちゃん来襲③ [obstetrics]

面倒なことは全部一応済んだので、新潟観光へ出発です。
まずは家の前の通りで丁度市(いち)の立つ日だったので、端から端まで歩いてみました。生ものが多いのでここで何か買う、という気持ちには全くなりませんが、大きいお腹になってえっちらおっちら遠くへ車で出掛けなくても食料は手に入るのだなぁと母は思った様子です。
いや、イオンに行くけど。万代と新潟南。
端まで歩いてゆくと、Aが待っていてくれて、先回りして万平菓子舗で買っておいたティラミス大福を頬張りながら新発田方面へ出発。
まずは五頭温泉郷の内のひとつ、村杉温泉薬師の湯の足湯へ。
いつもはAの癖に従ってさっと入ってさっと出てくるのですが、母と私は長湯が大好き、その日は少し雨が降って気温が低かった所為もあってだらだらお湯に足を浸しました。
この流れで近くの豆腐屋で五種類の豆腐の試食を食い、最も近い100円均一直売所へ。ここはいつも客足が早くて、いつもスカスカの棚を見るばかり、みたいなところなのですが、雨と震災の影響かまだどっさり品物があって楽しい見学。(結局野菜は買わず。)
さてこの足を更に伸ばし五十公野へ。五十公野のあやめはまだ早くて、黄菖蒲と元々の紺色のあやめしか咲いていなかったけれども、まぁぷらぷら歩いて池と谷戸状になったあやめ園を見て歩き、駐車場に戻って昼食。昼食はサンドイッチです。夜のうちに仕込んでおきました。
人参のコールスロー、卵サンド、チェダースライス、トマトレタス…冷蔵庫にありったけの野菜を使って一パック分のパンに全部挟み込みました。私はサンドイッチは一人で半パック分充分イケちゃうんだけど、Aに言わせるとそんなに普通は食べないよ、だそう。そうかしら。
カルピスバターでこってり作ったのがよくなかったのかしら?夜も少し寒くてバターがよく融けなかったのでちょっとたっぷり塗って。
…。
それでも昨年発掘したいじみの肉やのメンチカツをもしゃもしゃ食べながら移動です。
お茶も二種類用意して、よく冷やして持ってきました。これを飲みながら移動して月岡の足湯へ。
月岡温泉は石油掘削を試みたものの求める石油ではなく黄緑のお湯が出てきたという生い立ちを持つのだそうです。そう言えば新潟は唯一石油産出県で全国一位(石油シェア0.03%?だったけど。今はもっと少ないだろうなぁ、データは私が小学生くらいの時の古い記憶です)だから、新津には石油を掘削していた頃の資料も残っています。それは兎も角、石油がありそうだという山師の勘は強ち間違っていなかったようで、お湯の表面には油が漂っています。これは汚れではなく、石油。これがあるので上がった時には乾燥せずしっとりするのです。Aは花梨糖饅頭を探しにゆく、とお姫様を連れて月岡の温泉街をぷらぷらして、その間矢張りいつもより長く足湯に浸かって新潟へ帰ります。

Aはなるべく綺麗な景色のところを選んで走ってくれたようです。

新幹線を待つ間、新潟駅のcocoloを見て歩きながら駅弁を買おうとしたのですが、残念なことに結構売り切れ。仕方ない、日曜の夕方ですもの。それでも母はこれが良さそうだと残っていた駅弁の中から一つを選び。新幹線で帰ってゆきました。

A曰く、私は『いつもにましてよく喋っていた』そうです。Aの母、つまり姑とはそんなぺちゃくちゃ喋るということはありませんが友人Kとか友人Yとか、それから母とか、所謂今時のガールズトークできる相手ならずっとぺちゃくちゃ話すもんですよ。

Aは『寂しくなっちゃうんじゃない?(イヒっ)』と万感を込めて言いますけれど、これはこれ。
吐き出すものは吐き出したのがオンナの喋り捲りです。
母に弟から借りたハイロウズのCD(お目当ては日曜日よりの使者)を持って帰ってもらい、私は憑き物が落ちたような心持ち。
THE HIGH-LOWS

THE HIGH-LOWS

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キティ
  • 発売日: 1995/10/25
  • メディア: CD

日曜日までの使者、でしたが。母は。
タグ:新潟 妊娠
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えっ、ちょっと待って [obstetrics]

出産予定日は7月9日です。
まだまだ日にちがあるなぁ、出来たら7日にならないかなぁ、と都合のいいことを考えていました。
29日の午前中になんか頻尿と腰痛が酷くて不承不承病院へ行ったものの、5,000円近く費用はかかったわ、交通費もかかったわ、出歩くのは暑かったわ、検査は痛かったわで散々な目に遭って躊躇していたのも事実です。っていうかまだ一週間以上先じゃん。しかしその翌日30日、断続的に続くこの『変な症状』も日中は少し和らぎ(というより家事で気が紛れただけ?)、夕食も自力でルンルン作ってがっちり食べ、明日は金曜日週の最後の燃やすゴミの日〜♪などという予定を立てながら夜が更けつつあったのです。この間ずっと頻尿と腰痛と闘ってはおりましたが、何せ予定日はまだ一週間以上先、これをアレだとは一切考えていなかったのです。
アレ。
陣痛。
陣痛なんて経験ないし、病院での医師や看護士の語り口調はもやっとしていてどんな痛みか理解出来ていなかったのが最大の要因。それでも『もしかしたらね?』と回数や時間を計ってみましたが、一時間に6回即ち10分置き、にはならずまた間隔もばらつきがあって、やっぱり陣痛なんかじゃないのかなぁと言っているうちに7月になりました。
Aは夕飯時にビールやフルボディの赤ワインを飲むのを一日の楽しみにしているのですが、予定日が9日なので7月に入ったらノンアルにするか飲まないかにしよう、と決めていたそうなのですが、30日はトイレに行ったり来たりしている私を見て酒は止めといた方がいい?と頻りに迷っていました。取り敢えず痛みが一時間に4回程あるかないかだったので、夕食時は飲んでまえ、と私が勧めました。しかし流石に不安だったのか缶が進まず、二本空けたところで『なんか、やめとく。』と早々に寝るモードに入ってしまいました。その間も私はトイレの便座が一番のお友達で、何を隠そう29日の夜は殆どトイレに籠って夜明かし…だって横になると腰が痛いのですもの[たらーっ(汗)][もうやだ~(悲しい顔)]
30日夜も、今夜は座って眠るようかしらん、と半分腹を括ったところで月が変わり。
なんか、私水もお茶も大して飲んでないよね?なのにこんなにトイレでじゃんじゃん出る訳ないよね?そういえば頻度高くなってない?あれ、10分くらいしか経ってない気がする…と慌ててカウントしてみると、規則正しくなってきていて、10分くらいのようですよ?この腰痛が陣痛なのか?とトイレと携帯を代わる代わる使う様にAがもそもそ起きて来て、『電話する?』とすっかりアルコールを代謝し終わった顔で聞きます。
うむ、これなら運転できそうだ。
一週間早いけど、今週火曜日に検診でもういつ産まれてもおかしくない週数ですよと言っていた。何も予定日ばかりが出産日じゃない。予定日信じてたら日曜出産になって28万請求されちゃうわ。平日昼間なら21万よ。なんて冗談を言いながら病院に連絡しました。もう着替えるのも億劫なので寝間着に格下げになった服のまま出産用に詰め込んだ荷物一式を担いで車に乗り込み、夜の信濃川を渡りました。
この移動、何が辛いって、路面の悪いところや道路の継ぎ目の段差がモロに響くのですよ。しんどい。それと停車発車にかかるG。昨日もろくに寝てないので眠いような、痛い?のか?とか、これから一大イベントがある不安とかを馬鹿話で紛らわしながら、それでも実家の母に『陣痛きたみたいなんで病院行きマース』みたいなメールをこの真夜中に送りつけ、病院到着は電話してから一時間後の2時半。
病棟の入り口で様子を察して咎めない守衛さんが寧ろ車椅子を勧めてくれたもの、骨盤の位置がゴロゴロしている状態なので座面に体重をかけることが出来ず、その好意を断ってえっちらおっちら5階まで上がりました。待ち受けていた夜勤の看護師さんがてきぱきと検査台を用意してくれて、胎児の心音を測り取ります。なんだろう?いやに慌ただしいな?と思いつつも、それを計測すること約3〜40分。時々痛いんですけど?というか横になってるの辛いのですが?という頃になって緊迫した状態の看護師さんが椅子型の検査台へ移動するように言ってくれました。ううーん、あの椅子かぁ。実はあの検査台がどうにも好きになれなくて(というか好きな人はおるまい)嫌だなぁ、29日にこの台に乗った時、触診されて物凄く痛かったんだよね〜とモヤモヤしながら検査を受けていると、不織布のカーテンのむこうで切迫した空気が流れて来ました。
それでもこのとき私が考えていたのは、この検査室は廊下を挟んで4人部屋が二つ並んでいるのですが、最大8人いる筈の入院している人の気配が全くないなぁということでした。後からわかることなのですが、ここの病院はガラス張りの所謂『The新生児室』というものは無く、病室のベッドの脇に新生児が母親と過ごしているのですが、その時は全く赤ちゃんの声もせず、もしかして誰もいないの?というくらい気配がなかったのです。
そんな中担ぎ込まれてきて、なんと次の行き先は『分娩室です』と言われ、移動。というかもうベッドに寝かされて移動。もう出かかっていますから、なんて怖いことを言われて。血の気の引くAと私。もう痛みの脂汗なのか、恐怖の冷や汗なのかわからなくなってきたところで分娩室に入ると、そこの時計を見て変に冷静になりました。あぁ、3時半なんだ、とね。
看護師兼助産師が2名、後に1名追加されて3名、産科の医師が1名の体制が整うと、あとは私の陣痛の波任せ。あれー、とくになにもしないんだぁ、と変に拍子抜けしながら、時折水を貰ったりしながら…って、何だっけ、分娩台って、ほら、妊婦って手をどっかに掴まったりしなかったっけ?とそろそろ立ち会い講習を受けていないAが追い出されたころ、やっと掴まるところを指示されました。何と腿の付け根辺りにあるのを掴んで、それを脇の方へ引き揚げるような感覚で使ってくださいという。それは何ともイメージ湧かないなぁと思っていたけれど、医療機器というものはよく出来たもので、言われるままその通りにしたら数回出たり入ったりしていたようですが、それまで腕組みして微動だにしないで成行きを見守っていた医師が『切開しますよ』と言ったのに『えっ、嫌』と返事した時にはもう麻酔と切開されてわりとすぽん、という感じで産まれてしまいました。腰から下、多分脚の辺りが出る時には回転しながら出てくるよと言われていたものの、感覚は泳ぎながら出てきた、という感じでした。4時46分でした。なんかあっけない。
さて、臍帯も処理されて、後産にやや時間がかかったものの、更に麻酔を打たれて切開したところをちくちく縫われ終えて、次に待ち受けていたのはカンガルーケアです。産まれてまだ湯気の立っていそうな新生児を母親の胸に載せてあげるという半分儀式がかった作業なのですが、これまでに見せられたり目にしたりしたVTRなどでは真っ赤だったり真っ黒だったり、白いぶちぶちがついていたり、『新生児』というより『臓器』だったのでかなり腰が引けていたのですが、載せても平気かと問われながら見せられたその子は出てくる時の感覚通り髪が生えていて、計測台に運ばれていた時から普通に肌色で白いぶちぶちもついて無く、『赤ちゃん』というよりも『人間のミニチュア』だったのです。分娩室に呼び戻されたAとその子を微に入り細に入り眺めながら長いトンネルを一つ抜けたことを実感したのでした。20110701.jpg

人の気配はなかったのに


タグ:陣痛 分娩
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