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えっ、ちょっと待って [obstetrics]

出産予定日は7月9日です。
まだまだ日にちがあるなぁ、出来たら7日にならないかなぁ、と都合のいいことを考えていました。
29日の午前中になんか頻尿と腰痛が酷くて不承不承病院へ行ったものの、5,000円近く費用はかかったわ、交通費もかかったわ、出歩くのは暑かったわ、検査は痛かったわで散々な目に遭って躊躇していたのも事実です。っていうかまだ一週間以上先じゃん。しかしその翌日30日、断続的に続くこの『変な症状』も日中は少し和らぎ(というより家事で気が紛れただけ?)、夕食も自力でルンルン作ってがっちり食べ、明日は金曜日週の最後の燃やすゴミの日〜♪などという予定を立てながら夜が更けつつあったのです。この間ずっと頻尿と腰痛と闘ってはおりましたが、何せ予定日はまだ一週間以上先、これをアレだとは一切考えていなかったのです。
アレ。
陣痛。
陣痛なんて経験ないし、病院での医師や看護士の語り口調はもやっとしていてどんな痛みか理解出来ていなかったのが最大の要因。それでも『もしかしたらね?』と回数や時間を計ってみましたが、一時間に6回即ち10分置き、にはならずまた間隔もばらつきがあって、やっぱり陣痛なんかじゃないのかなぁと言っているうちに7月になりました。
Aは夕飯時にビールやフルボディの赤ワインを飲むのを一日の楽しみにしているのですが、予定日が9日なので7月に入ったらノンアルにするか飲まないかにしよう、と決めていたそうなのですが、30日はトイレに行ったり来たりしている私を見て酒は止めといた方がいい?と頻りに迷っていました。取り敢えず痛みが一時間に4回程あるかないかだったので、夕食時は飲んでまえ、と私が勧めました。しかし流石に不安だったのか缶が進まず、二本空けたところで『なんか、やめとく。』と早々に寝るモードに入ってしまいました。その間も私はトイレの便座が一番のお友達で、何を隠そう29日の夜は殆どトイレに籠って夜明かし…だって横になると腰が痛いのですもの[たらーっ(汗)][もうやだ~(悲しい顔)]
30日夜も、今夜は座って眠るようかしらん、と半分腹を括ったところで月が変わり。
なんか、私水もお茶も大して飲んでないよね?なのにこんなにトイレでじゃんじゃん出る訳ないよね?そういえば頻度高くなってない?あれ、10分くらいしか経ってない気がする…と慌ててカウントしてみると、規則正しくなってきていて、10分くらいのようですよ?この腰痛が陣痛なのか?とトイレと携帯を代わる代わる使う様にAがもそもそ起きて来て、『電話する?』とすっかりアルコールを代謝し終わった顔で聞きます。
うむ、これなら運転できそうだ。
一週間早いけど、今週火曜日に検診でもういつ産まれてもおかしくない週数ですよと言っていた。何も予定日ばかりが出産日じゃない。予定日信じてたら日曜出産になって28万請求されちゃうわ。平日昼間なら21万よ。なんて冗談を言いながら病院に連絡しました。もう着替えるのも億劫なので寝間着に格下げになった服のまま出産用に詰め込んだ荷物一式を担いで車に乗り込み、夜の信濃川を渡りました。
この移動、何が辛いって、路面の悪いところや道路の継ぎ目の段差がモロに響くのですよ。しんどい。それと停車発車にかかるG。昨日もろくに寝てないので眠いような、痛い?のか?とか、これから一大イベントがある不安とかを馬鹿話で紛らわしながら、それでも実家の母に『陣痛きたみたいなんで病院行きマース』みたいなメールをこの真夜中に送りつけ、病院到着は電話してから一時間後の2時半。
病棟の入り口で様子を察して咎めない守衛さんが寧ろ車椅子を勧めてくれたもの、骨盤の位置がゴロゴロしている状態なので座面に体重をかけることが出来ず、その好意を断ってえっちらおっちら5階まで上がりました。待ち受けていた夜勤の看護師さんがてきぱきと検査台を用意してくれて、胎児の心音を測り取ります。なんだろう?いやに慌ただしいな?と思いつつも、それを計測すること約3〜40分。時々痛いんですけど?というか横になってるの辛いのですが?という頃になって緊迫した状態の看護師さんが椅子型の検査台へ移動するように言ってくれました。ううーん、あの椅子かぁ。実はあの検査台がどうにも好きになれなくて(というか好きな人はおるまい)嫌だなぁ、29日にこの台に乗った時、触診されて物凄く痛かったんだよね〜とモヤモヤしながら検査を受けていると、不織布のカーテンのむこうで切迫した空気が流れて来ました。
それでもこのとき私が考えていたのは、この検査室は廊下を挟んで4人部屋が二つ並んでいるのですが、最大8人いる筈の入院している人の気配が全くないなぁということでした。後からわかることなのですが、ここの病院はガラス張りの所謂『The新生児室』というものは無く、病室のベッドの脇に新生児が母親と過ごしているのですが、その時は全く赤ちゃんの声もせず、もしかして誰もいないの?というくらい気配がなかったのです。
そんな中担ぎ込まれてきて、なんと次の行き先は『分娩室です』と言われ、移動。というかもうベッドに寝かされて移動。もう出かかっていますから、なんて怖いことを言われて。血の気の引くAと私。もう痛みの脂汗なのか、恐怖の冷や汗なのかわからなくなってきたところで分娩室に入ると、そこの時計を見て変に冷静になりました。あぁ、3時半なんだ、とね。
看護師兼助産師が2名、後に1名追加されて3名、産科の医師が1名の体制が整うと、あとは私の陣痛の波任せ。あれー、とくになにもしないんだぁ、と変に拍子抜けしながら、時折水を貰ったりしながら…って、何だっけ、分娩台って、ほら、妊婦って手をどっかに掴まったりしなかったっけ?とそろそろ立ち会い講習を受けていないAが追い出されたころ、やっと掴まるところを指示されました。何と腿の付け根辺りにあるのを掴んで、それを脇の方へ引き揚げるような感覚で使ってくださいという。それは何ともイメージ湧かないなぁと思っていたけれど、医療機器というものはよく出来たもので、言われるままその通りにしたら数回出たり入ったりしていたようですが、それまで腕組みして微動だにしないで成行きを見守っていた医師が『切開しますよ』と言ったのに『えっ、嫌』と返事した時にはもう麻酔と切開されてわりとすぽん、という感じで産まれてしまいました。腰から下、多分脚の辺りが出る時には回転しながら出てくるよと言われていたものの、感覚は泳ぎながら出てきた、という感じでした。4時46分でした。なんかあっけない。
さて、臍帯も処理されて、後産にやや時間がかかったものの、更に麻酔を打たれて切開したところをちくちく縫われ終えて、次に待ち受けていたのはカンガルーケアです。産まれてまだ湯気の立っていそうな新生児を母親の胸に載せてあげるという半分儀式がかった作業なのですが、これまでに見せられたり目にしたりしたVTRなどでは真っ赤だったり真っ黒だったり、白いぶちぶちがついていたり、『新生児』というより『臓器』だったのでかなり腰が引けていたのですが、載せても平気かと問われながら見せられたその子は出てくる時の感覚通り髪が生えていて、計測台に運ばれていた時から普通に肌色で白いぶちぶちもついて無く、『赤ちゃん』というよりも『人間のミニチュア』だったのです。分娩室に呼び戻されたAとその子を微に入り細に入り眺めながら長いトンネルを一つ抜けたことを実感したのでした。20110701.jpg人の気配はなかったのに、病室に空きがなく、取り敢えず、と『陣痛室』なるお部屋に通されました。
朝の7時、朝食がくるまで一寝入りします。
タグ:陣痛 分娩
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